第39期

森浩太さん

米国 イェール大学
(東京大学大学院 経済学研究科 現代経済専攻 修士課程2年)
2008年9月~2010年8月

米国留学を開始して以来常に感じているこの独特の感覚を、僕はなかなか人に説明できずにいた。渡米して3年以上が過ぎた最近になって、これを見事に言語化した人がいることを知人に教えられたので、まずはこれを引きたい。

「アメリカには、私の存在を証明するものなどないのだ。私はここで過去を持たず、過去を持たないということは、結局何も持っていないということだった。・・・ここには現実がない。それは地上十センチのところをふわふわと歩いているようなものだったが、そんな中で、勉強することだけは唯一の現実だったのだ(江國香織「409ラドクリフ」)」

日本で「○○県出身で△△大で□□学を専攻、サークルでは××を…」くらい自己紹介すれば、僕という人物についてまがりなりにもイメージが付く。ところが、この国ではそういった基礎情報は大した仕事をしてくれないようだ。ところ変われば、情報から人物像への変換公式が大分違ってくるのである。すると、僕という人間がなかなか周囲の人々の中に定着しない。なるほど、これはどこか幽霊のようでもあり、「ふわふわと歩いている」とは、さすがに物書きは上手いことを言う。

そういうわけで、自分の「キャラが立つ」までがなかなかしんどいのである。米国へやってきて痛感したのは、いかに自分が日本における共通の文化と土壌に依存していたかということだった。文学・歴史・芸術など、インテリな素養があると会話のとっかかりになって多少やりやすいかもしれないが、残念ながら教養にはめっぽう疎い。そこで、僕の基本戦略は日本料理を振舞うことになった。日本食のファンは少なくないし、皆ジャンクフードに飽き飽きしているから評価も結構甘い。留学1年目はそんな具合で、振り返ればずいぶん楽しんだ記憶がある。

ところが、いつまでもそんなことをやっているわけにもいかないことに次第に気づく。異文化交流でせっせと友達を増やすのはほどほどにして、自分の研究成果をもって認知を得る戦略へと、早晩切り替えなくてはいけない。というか、本来なら研究こそが、唯一最良の存在証明であり、コミュニケーションツールとなるところだ。「勉強することだけは唯一の現実だった」という冒頭の一節は、哀しいけれども真理であり、また、米国らしさでもある。

そんなわけで、今日も僕は机に向かう。しかし、回りも強者揃い。なかなか一筋縄ではいかない。逃げ腰になる時も少なくない日々だが、さっき、ある教授とこんな会話をした。 「今、この分野で一番ホットなトピックはなんですか?」 「君が面白いと思うことをやってみて、それが次の”ホット”になるんだよ」 第一線とはそういうことだ、と改めて思う。この教授、還暦をとうに過ぎているのだが、プレゼンテーションでは「俺はこの論文を書く中でこれとこれを新しく知ったんだよ」なんて嬉しそうに語るのだから、その飽くなき情熱に驚かされる。
どこまで攻めの姿勢を貫けるか。10年後に、アカデミアの幽霊にならないための戦いは、もうしばらく続く。

海外での留学生生活は、学術的にも、生活の面でも、疲れます。金銭面だけでなく、突然届く事務局の方からのemailや、理事長からの年賀状は大きな心の支えになりました。また、京都を訪れると、必ず長い時間を取っていただき、お話する機会を設けていただきました。この場を借りて、村田海外留学奨学会の皆様に心から御礼申し上げます。